薄ら寒い雨の土曜日、慎之介が外に出たいと言うので1度外に出ただけ。
古い言い方だが「ネットサーフィン」をしただけで一日を終えてしまった。
このところ、決まったサイトしか見ていなかったので、久し振りに「犬」や「写真」で検索してみると、新しいページが多くて新鮮だった。
それにしても、歳を取るごとに、何故こうも一日を短く感じるのだろうか?
生きてきた日々を分母として、一生を1として分子に置くと、
長生きをすればするほど、1日という一コマは希薄になる。
赤ん坊として生まれた日は、その日一日が一生のすべてだった。
一生の四分の三以上を寝て過ごしていいのかい? 慎之介。