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3月下旬から寝込みがちだった母が先日永眠しました。90歳と5ヶ月の生涯でした。体調を崩してから約2ヶ月、訪問医から入院の判断を求められ、自宅で看取ることを家族全員一致で決めた一週間後のことでした。 その間、姉と妹は交代で泊まり込みの介護、家内は介護申請や訪問医の手配と、テキパキと動いてくれました。何もしなかった長男が言うのもおこがましいことですが、全員に100点満点を与えたいと思います。みんなの優しさの中で逝った母も、きっと嬉しかったに違いありません。 葬儀は、知人の紹介から個人が営む葬儀社にお願いしました。会場は、父の希望した公営斎場が一週間先まで一杯で、やむなく隣の駅近くにあるセレモニーホールとなりました。子と孫だけが参列する家族葬として、親戚やご近所の方へは、勝手ながら事後報告ということにしました。とは言うものの昔気質の父のためには、普通の葬儀の形式を踏襲した方が良いだろうと、「通夜・通夜振る舞い・告別式・火葬・精進落し」という、一般的な式の運びとしました。 父を頂点に孫たちの家族を含めると30名余りとなりますが、転勤で遠くに住む孫たちを除くと、当日集合できるのは大人14名と幼児が5名ほどです。そんな小さなお葬式なので、司会までは要らないだろうと考えていましたが、焼香や出棺のタイミングが取りにくいという助言から、司会もお願いすることになりました。 通夜が始まる前に、その女性司会者が私のところに来て、母の生前の人柄について尋ねました。私には思い付くエピソードもなく、「特にこれと言った特徴のない、ごく普通の母親でした。」としか答えられませんでした。 いよいよ通夜が始まり「法話・読経に続き焼香」を済ませ僧侶が退席すると、司会の女性が母について語り始めました。 「相撲を見ているお婆ちゃんの膝の上で、その日の取組表に結果を記入するのが、私の小さい頃の役目でした。」 どうやら、孫たちも取材の対象となっていたようです。久しぶりに集合した孫たちの会話から、少しづつ話題を拾ってまとめあげたエンディングは、涙あり笑いありのアットホームなものとなりました。みんなの協力で、母が生前願っていた「自宅での最後」を叶えることができたと、悔いのない私たちの心中をスタッフの皆さんが汲みとってくれていると実感しました。 そして翌日の告別式。通夜同様に「法話・読経・焼香」が終わると、司会の女性から母を送り出す多くの言葉が語られました。最後に「これから○○様は、子供の頃から見慣れた風景の中を、斎場へと向かいます。」とアナウンスが流れます。一面のカーネーションと数輪のひまわり、ひ孫たちが持ち寄った手紙や、折り鶴で一杯になった棺は、静かにホールを出て行きました。 先頭の霊柩車には、位牌を持つ父と遺影を抱える姉が同乗し、私たちのクルマがそれに続きます。車列は、普段私が通ることのないルートを辿り、何処を走っているのか分からぬまま後を追います。 気付くと、それは母の実家に向かう道路でした。 母が隣町の生まれであることは、司会の女性に問われた際に答えましたが、葬儀社には伝えていなかったし、そんな配慮も思い付きませんでした。この道をまっすぐに進むと、再び私たちの住む市域に入り、斎場近くの県道に出ます。偶然とはいえ、母が生まれ育った実家の側を通り、斎場へと向かう道のりは母の導きだったのでしょうか。 母の実家は元々農家であった為、100m近くに渡って大通りに接する大きな敷地です。 「ほら、ここだよ。」 助手席にいる家内にそう告げた時、先頭の霊柩車が停止しました。私たちもその後ろにクルマを寄せ、幼い頃泊まりに来たことのある懐かしい風景を眺めました。近辺は賑やかになり、母が育った頃とは様変わりしているのでしょうが、裏山の木々は当時のままのようにも見えます。 「母の生家にクルマを整列させるなんて、姉も気の利いたことをするものだ。」 と、私は感心しました。 懐かしい場所をひとしきり眺めてから走りだした車列は、間もなく斎場に着きました。 「母の実家の前でクルマを停めて貰うなんて、粋な計らいだね。」 と、クルマから降りて来た姉に言うと、 「いや、私は何も頼んでないよ。」 姉は姉で、私が事前にお願いしたセレモニーだと思ったそうです。 「えっ! じゃあ、偶然?」 葬儀社や霊柩車のドライバーが、母の実家を知っている筈がありません。何故、あの場所で少しの間、停車していたのかをドライバーに尋ねると、「最後尾のクルマと離れてしまったので、お待ちしていました。」と。その遅れたクルマは、母と一緒にいる時間が一番長かった、私の末娘のものでした。 何と言う偶然でしょう。 ・斎場までのルートはドライバーによって様々で、この日は、たまたまこのルートになったこと。 ・そもそも、公営斎場のホールが空いていれば、霊柩車は手配していなかったこと。 ・検討した他のホールで葬儀を行っていたなら、このルートは有り得なかったこと。 ・4台と伝えてあったお供車が5台となり、予定外だった末娘のクルマが信号待ちで遅れたこと。 数々の偶然が重なって、その情況は生まれました。この数年、足の痛みから億劫だと言って実家を訪ねることの無かった母は、僅かな時間でしたが最後の最後に、生家の門前に佇むことが出来たのです。 普段から霊の類を信じない私ですが、それに気付いた時は心臓が高鳴り足が震えました。 「正直」が母の取り柄だった。戒名に『正』の字をどうしても入れたいと、既に出来上がっている白木の位牌の書直しを、通夜当日になってお願いした父。その位牌と共に巡る最後のドライブで、生まれ育った土地や風景を母は全身で感じていたに違いありません。それは、生涯「正直者」を貫いた母への、天からのご褒美だったのではないかと、今では考えています。 私たちにとっては、大きな感動を呼んだ小さな葬儀となりました。 完
by ikkendoken
| 2015-05-24 20:42
| 番外編
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